古いアルバムから今は見られない貴重な風景写真を選んで並べてみました |
中野市西部、旧豊田村(とよたむら)の山手に古い木造の校舎がありました。昭和56年廃校となった永田小学校西分校跡です。 | ||||||||||||||
平成元年に当時の牟礼村に越して、今まで町場に住んでいた身としては周辺の田舎の風景が珍しくて休日は三菱Jeepで走り回ったものです。 | ||||||||||||||
中でも豊田村は隅々まで見て歩きましたが、特に惹かれたのがこの古い校舎でした。確か当時は管理のおばあさんがいたはずですがお目にかかることはありませんでした。 | ||||||||||||||
古い民生用ビデオカメラでこの校舎と周辺を撮った映像があります。 Youtube | ||||||||||||||
*画像をクリックすると別ページで大きな画像が見られます。 | ||||||||||||||
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以下の写真はデジカメです。 | ||||||||||||||
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解体されることは知っていましたが解体作業は見たくありませんでした。ここで最後に学んだ子供たちはこの時点で40代半ば。 | ||||||||||||||
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そして16年後、春浅い同地を訪れてみました。直接の縁はありませんが昔ここに木造校舎があったことをを知る身としては感無量です。 | ||||||||||||||
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私が卒業した市立須坂小学校は児童1500名の大きな学校で、後に立て替えられましたが今の時代なら文化財として通用する素晴らしい建物でした。 | ||||||||||||||
明治時代にどんな田舎にも小学校が作られ、山奥にも分校が置かれましたが今はその逆の現象です。 | ||||||||||||||
木造校舎の音楽室から子供たちの歌声が聞こえていた時代は記憶の彼方となりました。女の先生のオルガン伴奏で子供たちが唱歌「故郷」を合唱している声が聞こえてきそうです。 | ||||||||||||||