古いアルバムから今は見られない貴重な風景写真を選んで並べてみました 
                Information  
                             
   中軽井沢から国道146号を北上、県境で白糸の滝方面へ右折、しばらく進むと左手林の奥に広大な牧草地が見えてきます。そこは群馬県吾妻郡長野原町北。かつて浅間高原自動車テストコースがあった場所です。  
 本来の使用目的は当時の2輪メーカー19社によって建設されたテストコースですが、昭和30年代に何度か2輪のレースが開催されました。日本の本格的モータースポーツ発祥の地です。 ウィキペディア参照
 
    私が1968年から69年にかけて月刊モーターサイクリスト誌のレポーターをしていた当時、取材の一環でここを  
 訪れました。すでにテストコースとしてはほとんど使われていなかったようでしたがダートのコースを歩いて写真を
 撮り、事務所に現れた管理人さん?(泉さんか小泉さんだったかな)に話を伺うことができました。
 まだ二十歳の若造で世慣れていなかった私ですが面白い話を多分目を輝かせて聞いていたのだろうと思います。
 話の中で「先日裕ちゃんが来たよ」。石原裕次郎氏です。映画「栄光への5000キロ」の関連でしょう。
  当時、コースの周囲は高い樹木がほとんどなくてコースから雄大な浅間山麓の風景が見通せました。
 Google Map も含めて地図にはレース場とかサーキット、古くはオートレース場と表示されていたこともありますが
 正式な名称は浅間高原自動車テストコース。レースは開催されましたがレース場ではありません。
 一周 9.351km 未舗装の硬く締まった左回りのダートコースでした。航空写真で当時の痕跡が見られます。
 現在西側の一部が「浅間サーキット」として活用されているのは昔を知る者として嬉しいことです。
 
 
地理院地図 拡大/縮小した場合再読み込みで初期状態に戻ります 出典:Wikipedia
 3枚の写真を合体してヘアピンコーナーを再現してみました。後方の山は浅間山。以下の写真はネガホルダーのメモによると1969年 昭和44年4月撮影です。
このタイヤ痕はラリー仕様のブルーバード510か
 
 
入り口ゲート   スタート地点 進行方向は手前
 
 
スタート地点からカスミのカーブへ 右のフェンス奥の土手はグランドスタンド   コース脇から見るホームストレッチ スタート/ゴール地点を望む
 
 
スタンド上部から   ファーストファイト カスミのカーブ入り口へ
 
 
セカンドファイト ファーストファイトからの折り返し   サードファイトからスタート/ゴールを望む
 
 
サードファイト先のコーナー   ヘアピン入り口
 
 
ヘアピン中央   ヘアピン出口
 
 
大森カーブ出口 ホームストレッチへ向かってきます   大森カーブからホームストレッチ スタート/ゴール地点へ
 
 

ここは後日何度か訪れています。

最後に行ったのは2010年7月、 41年ぶりの兵共の夢の跡はすっかり様子が変わっていました。

今ではかつてここで起きたことを知る人も少なくなりました。

入り口ゲート付近 2010年7月15日    
 
 
ファーストファイト 2010年7月15日   左の写真を撮った位置 (太平洋クラブ 軽井沢リゾート脇から)
 
 

取材ツーリング出発前

当時住んでいた実家の前で愛車 HONDA CS90。シートで寝ているのは愛猫 チビ

手前を向いているのは親父の CD90 その左にちょっと見えるのはモトクロス出場のために改造した BS90

あの日のツーリングと取材結果を書いた記事はモーターサイクリスト誌のツーリング特集に載りました。

 
 1959年(昭和34年)8月24日 ここでの最後のレースとなった第2回全日本モーターサイクルクラブマンレース最終日、耐久セニア。雨の中であの伊藤史郎(いとうふみお)がBMW R50で走り優勝。
 あの伝説のレースから10年後。我ながらよくもこの時代のコースを撮っておいたものだと感心します。写真で判断すると結構な距離を歩いて撮影していますが、学校のグラウンドを歩いているような足の感触は今も蘇ります。
 この写真は亡き親父から借りたカメラで撮りましたが当時のことですから完全マニュアル、絞りとシャッター速度の関係なんて全く知識なし、露出計も持っていなかったのに良く撮れています。しかもネガを保管していたとは。
 なぜかコースの周回方向を勘違いして進行方向を撮った写真と反対方向を撮った写真があるのは愛嬌として見てください。
 ヘアピンコーナーを3枚に分けて撮ったのは後で写真を張り合わせるつもりだったからで、これは大正解。今になって生きました。
 この日は帰りに乗っていったバイクがパンク、峰の茶屋に置いて信越線で帰りましたが、翌日放置したバイクを見つけた茶屋の主人がバイクの持ち主が浅間山登山で遭難したのではないかと警察沙汰になりました。
 警察には親父と一緒に誤り、翌週職場のメンバーと車で軽井沢へ遊びに行ったのですが、その際パンク修理道具を持って行き、峰の茶屋で別行動。茶屋の人にひたすら頭を下げました。
 その前、16歳で最初に買った中古の HONDA ベンリイ 4J でスーパーカブの親父と鬼押し出しまで行ったのも半世紀以上昔。あの日、親父は最高に楽しかったことだろうなあと親父の歳を超えた今になって思います。
 
      Information Information